Opus 7

essays about moving pictures (or books)

世界を崩壊させる視点

『逆転世界』“Inverted World” クリストファー・プリースト=著、安田均=訳(創元SF文庫)

逆転世界 (創元SF文庫)

逆転世界 (創元SF文庫)

 


 クリストファー・プリーストの『逆転世界』というSFがある。タイトルに「逆転」とあり、しかもいったいなにが逆転するのかというと「世界」が逆転するのだといい、なおかつ、それはSFであるらしいのだから、おそらくこれは世にいうセンス・オブ・ワンダーを扱った作品なのだと思い至る。なにかひとつ世界を構築し、たとえばそれをある特定人物の視点を通して語ってみせ、読者がその世界の認識体系に親しみを覚えてきた、ここぞというタイミングで世界像をぐるんとひっくり返して――まさに「逆転」させることで――読む者を安堵感から奇妙な崩壊感覚へと誘うのである。しかし、そうした心づもりで『逆転世界』を読んだところで、頑として揺るがない奇想というものがこの世には存在するのだという事実が、驚きとともに感じられるのみだ。

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『逆転世界』は、こんな一文からはじまる。

 ついに六百五十マイルの歳になった。 

 果たして、「時間」が「距離」によって測られる世界とはいかなるものであるのか、おそらく一日が二十四時間の我々が親しんでいる世界とは異なったそれであるにちがいない、と了解したうえでひとはさらに読み進め、とりあえずその異世界を理解してみようと努める。
 すると、主人公のヘルワード・マンは〈地球市〉という都市――単に「都市」とも呼ばれる――の託児所で育ち、都市の外のようすを知らずに生きてきたということがわかり、それは地球市に住む大部分の人間がそうであり、また、一般市民には都市の外の領域へと踏み入ることはおろか、その知識を得ることも禁じられているからであるらしいのだが、かれは「六百五十マイルの歳」になったことで成人として認められると同時に、〈ギルド〉という地球市を運営する組織の見習員となることで、初めて外の世界を目撃するに至る。その瞬間、まさに我々読者も、未来測量、牽引、軌道敷設、架橋の四つの主要なギルドと、民兵、交易の二つの補助的なギルドによって機能しているというこの都市が、外部とどういった関係を取り結んでいるのかなど、次々と湧いてでる疑問を胸に秘めつつも、その新鮮さに胸を高鳴らせながら、外の世界と対峙する。ヘルワードが見たのは、夜の暗闇と厳しい冷たさと静けさが、夜明けの太陽によって一掃される、世界への期待に充ちた風景である。

 オレンジは色あせた。ぼくが想像していたよりもずっと速く薄れていき、反対に光源は輝きを強めた。もう空は青白いブルー一色に染まっており、ほとんど白に見える。その中心に、地平線から生まれ出たと言わんばかりの白い光の槍がつき出し、それは傾いた教会の尖塔のように、少しばかり片側へと傾斜していた。昇ってゆくにつれ、それは太くなってさらに輝き、数秒がたつうちに光と熱の強さに、とてもまっすぐ見つめることはできなくなった。
(中略)
 ぼくはまた昇ってくる太陽を見つめた。鳥たちを見ていた短いあいだに、それは変形していた。いまやその中心部は地平線より上にあり、宙空にかかっている。上方と下方に、先細りの白熱の尖塔がまっすぐ伸び、胴部は横に長く円盤状となった光の塊だ。

 しかし、ここから読者が感じとるのは異世界への期待というよりも、ことばにならない予感めいたものであるにちがいない。それというのも、その太陽というのが見慣れない妙なかたちであるからで、結局のところ、読者はこの世界への違和感や、募るばかりで答えの見えない疑問への苛立ちに耐えながら、さらに読むことを強いられるのである。

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  見習期間にあるヘルワードは、各ギルドの業務を一通りこなすことになる。これによって、かれは現実に都市と外の世界との関係のなかで生きはじめ、徐々に世界像が読者にも開示されていく。
 移動式要塞都市である地球市は、とにもかくにも北へと前進することを至上命令としているようで、ギルド組織は都市より北を「未来」、南を「過去」と呼び、「現在」に相当する〈最適線〉上に都市が位置することが望ましいとしており、また地面は北から南へと動いているというので、都市は十日で一マイル、年に三十六・五マイルの移動によって最適線上を維持しつづけなければならず、このために、ギルド員は常に北の地形を測量し、進路を決定し、前方に軌道を敷設し、河や谷が立ちふさがればこれに架橋し、牽引しなければならない。なるほど……だが、そうはいっても、ギルド組織のいうことを鵜呑みにできないのもたしかなのだ。外の世界には常に移動しなければならない都市とはちがって定住集落が存在するし、都市はこれらの技術という技術をもたず原始的な生活を営む共同体から、一時的に労働力や女を借り入れており、それはほとんど一方的な蹂躙のように見えることから、この非人間的な都市の在り方やギルド組織の方針にはなにか裏がありそうだと勘ぐってしまうわけである。ギルド組織の上層部は、最適線なるまやかしの目的地を不断に更新することで、一般のギルド員を狂信的なまでの労働へと向かわせ、その他の市民にたいしては外の世界に関する知識の一切を規制することで、本来的な目的から道を踏み外しているのではないか。
 しかし、これらの不信感は、ヘルワードが南の集落へと女を送り届けるために過去へ下り、北の測量任務のために未来へ向かうことで、見事に払拭され、ギルド組織のいう世界像はどうやら本当であったらしい、と読者の観念は固定されるに至る。
 なんと南へ行けば行くほど、重力は地面と水平に、南向きに強くなり、ある地点で光すら脱出不可能なほど大きくなるので「事象の地平線」が存在しているのである。そして、当然のように事象の地平線に近づけば近づくほど、時空は歪み、周囲の景色や人物は縦方向の長さを失い、無限に横幅が大きくなり、最適線のそれと比べて時間の進み方は遅くなる。反対に、北へ行けば、最適線を越えてしまえば、南向きの重力は感じられないが、風景は不気味に縦に伸びはじめ、時間の進み方は速くなっていく。ここでプリーストは、この「アインシュタイン相対性理論」が身近な問題として組み込まれた異様な世界を、ある図形の導入によって、まったく自然なものにしてしまう。ある図形とは、あの太陽である。この世界はあの奇妙なかたちの太陽と同じ姿をしており、わかりやすくいえば、単純な反比例の双曲線を縦軸を中心に回転させた図形の、その表面に地球市は乗っかっている。ちょうど図形の湾曲部分である最適線上で地球市は、惑星地球と同等の重力、時間、空間を得られるのだが、ひとたび移動を怠れば、回転する図形の遠心力によって、歪み、崩壊し、吹き飛んでしまうのだ。

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 我々読者は全五部構成の『逆転世界』のうち、第一部から第三部の語り手であるヘルワード・マンの主観を通して、そうした世界像を把握したことに得意になったはずだ。しかし、問題は我々がその現実に慣れっこになってしまった矢先の、第四部である。
 語り手は、第一部のヘルワード・マンである「ぼく」の一人称からはじまって、過去への降下を体験する第二部で、いくらかの客観性を組み入れるために三人称となったのち、第三部では未来測量によって主観的時間がひどく経過した「わたし」の一人称に戻るという推移を経て、第四部のそれは唐突にエリザベス・カーンという女性の三人称へと変わり、別な視点が挿入されるのだが、ここに至ってようやく読者は、都市の生まれではなく、外の世界で定住型の暮らしを営む者の視点を獲得する。都市から見た現実が、第一義的に生存のための移動が要請される厳しい世界である一方で、果たして、その視点から見た場合の現実とはいかなるものなのか。これまで緻密に、強固に、積みあげられてきたはずの都市的現実は、途端、呆気ないほどにその脆さを露呈しはじめ、ぐらぐらと揺らぎだすのである。
 事実、エリザベスはあっさりと「ここは地球よ」「太陽は丸い、球体よ」とヘルワードにいってのけ、かれを困惑させる。折しも、都市は一部集落の原住民からの攻撃を受けて外壁を破壊されたことが契機となり、都市の外側に関することを見聞きし、ギルド機構に疑念を抱いた市民のなかから、都市の継続的移動に異議を唱える終止論者が現れはじめたところである。エリザベスの語る現実――この世界が〈大崩壊〉後の地球であることや、イングランドの組織から派遣された彼女が辺境地域の文明再建に尽力していること――は、都市やギルド組織のそれと矛盾し、逆転したものでありながら、しかし、それをまったくの虚偽として否定することもできない我々は、このふたつの現実が戦わされることによって、これまでの認識にたいする不均衡で無批判な態度を咎められ、崩壊の予感を強めていく。そして、第四部の終盤、その崩壊の予感はヘルワードが虚ろに見つめるさきの大西洋というかたちをとって具現化し、架橋可能な谷でもなく、対岸の見える河でもない、その広大な海は、都市は移動しなければならないというギルド組織の規定を無効化し、都市的現実を崩壊させるのである。

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 第五部で、なぜ地球市と惑星地球の現実が二重化されていたのか、〈超側次発生器〉と〈超側次元窓〉によって一応の説明がなされるが、これはマクガフィン的なもの、状況をもっともらしく生みだすための科学的な修辞であり、やはり問題となるのは、再びヘルワード・マンの一人称に語り手が取って返したときに、もはやかれが頑なな老人のようにしか思えないことであろう。あくまでかれはエリザベスが大西洋という広すぎる「河」に橋を架けることに固執するのだが、そうする以外に、かれにとっての現実は延命する術をもたず、なによりも都市に尽くしてきたかれの時間は救われないのだ。
 最後、ヘルワードは世界と自分との関係をたしかめるかのように、その「河」を北に向かって泳ぎだす。いかにして、かれは世界を乗り越えるだろうか、あるいはまったくの敗北か。