Opus 7

essays about moving pictures (or books)

狂気のような正気/正気のような狂気

「さあ、気ちがいになりなさい」“Come and Go Mad” フレドリック・ブラウン=著、星新一=訳

『さあ、気ちがいになりなさい』(ハヤカワ文庫SF)所収

さあ、気ちがいになりなさい (ハヤカワ文庫SF)

さあ、気ちがいになりなさい (ハヤカワ文庫SF)

 


 主人公の新聞記者ジョージ・バイン――かれはナポレオン・ボナパルトである。
 妄想に囚われているわけでも気が狂っているわけでもない。すこし不思議……いや、かなり不思議に思われるかもしれないが、かれは正真正銘あのナポレオン・ボナパルトなのである。
 1796年、ローディの戦い前夜に眠りについたナポレオン、その精神はもとの肉体から分離して、20世紀のアメリカでジョージ・バインとして目を覚ます。バインの記憶の一部(言語だったり、現代において周知の知識だったり)が残留している肉体で、かれはなんとか周囲から見たジョージ・バインという人物の連続性を保ちながら生きている――という、一見すると狂気のような正気の男がいる設定なのだ(自分はナポレオンだと妄想する男の笑い話はよくありますが、それを事実として設定するあたりはブラウンらしいユーモアです)
 かれはある精神病院への潜入取材の仕事を引き受けたことから、なんと! 自分のことをナポレオンだと信じて疑わない偏執狂を装うことになる。
 自分をナポレオンだと思いこむ、ジョージ・バインという男を演じるナポレオン。
 狂気のような正気の男が、狂気の皮を一枚被る。
 その病院でかれは〈明るく輝けるもの〉という存在と邂逅することになる。なぜ自分の精神が時空を超えた他人の躰へと移植されたのか。〈明るく輝けるもの〉とはなにか。人間とはなにか。その真実を知らされるとき――

「さあ、気ちがいになりなさい」

 ――そのとき物語は、男の狂気のような正気を正気のような狂気へと反転させる。きっと結末に描かれている数行の、ありきたりで幸せそうな暮らしにうすら寒さを感じるだろう。根底に流れているおかしさを冷ややかに笑うことになるだろう。なに食わぬ顔をして、世界は静かに狂っているかもしれないのだから。