ヒトは宇宙の特異点??

『know』野﨑まど=著(ハヤカワ文庫JA

know (ハヤカワ文庫JA)

know (ハヤカワ文庫JA)

 

 

「快感-苦痛原則、性の全生存衝動器官、超自我の未来への執着――ほとんどつねに、精神(サイキ)はみずからの墓石の先を見ることができません。それならば、この奇妙な執着はなぜでしょう? ひとつの非常に明白な理由のためです」彼は人差し指で空気を叩くようなしぐさをした。「なぜなら毎晩、精神は未来に待ち受けている運命について信じざるをえない予告をあたえられるからです」
「まるでブラックホールだな」

(「マンホール69」)

 

 以前、ぼくは「ヒトは宇宙の特異点?」のなかでこう書いた。

 人間以後の宇宙は、人間の「自己言及」能力によって計算効率を向上させて、「文化」という情報の新種を大量に蓄えつづけている。

 人間の“知りたい”という本質的な欲求――「我々はどこから来たのか」という自己言及的な問いを起源とする――に支えられるかたちで、この宇宙の情報量はこれまでにないほど豊かになっている。現在の情報化社会がもっと高度なものへと推移すれば、世界のより多くの情報は電子化され、それらのデータのより効率的な取得・処理によって、情報量の増加は指数関数的に大きくなることだろう。
 しかし――と、ぼくは思う――その先は? いずれ、人類は世界を知り尽くしてしまうかもしれないではないか、と。
 そのとき、“知る”ことの極限がどこかに設定されるのか。
 あるいは、“知る”ことのアップデートがなされるのか。
 野﨑まどは、これまで(『[映]アムリタ』から『2』に至るまで)宇宙内存在である人間が情報を集積していく様を描いてきた作家だ。『know』では、SF的な語りによってその領域の先へ、この宇宙からの脱出を図る。

 2081年、超情報化社会の最先端をゆく都市となった京都。
 あらゆるモノには極微な情報素子が添加/塗布され、その〈情報材〉は常に周辺状況をモニタすると同時に、通信システムの一部となって膨大なデータ群ビッグデータが流れるネットワーク(IoT : Internet of Things)を構築している。人間はこの情報の奔流へと接続し、過剰な情報量に対処するため、脳の処理を補助する人工脳葉〈電子葉〉を移植している。
 間断なく世界から供給される情報を蓄積しつづける、情報インフラ。インターネットを肉体の一部として引きこむ――あるいは人間をインターネットの結節点(ノード)として取りこむ――人造器官。
 “知っている”という概念も現在のままではいられない。ネットは脳機能のシームレスな延長線上に存在し、いわばクラウドのなかにある第二の脳だ。だから――

 たとえば、冒頭のシーン。市バスに乗りこんだ修学旅行生たちが、これから訪れるのだろう三十三間堂について楽しげに会話をしている。京都ではありふれた光景であるはずだが、どこか普通とちがう。三十三間堂に安置されている二十八部衆の仏像の名前を、彼女たちは諳んじる。「大弁功徳天満善車王那羅延堅固王毘楼勒叉天王……」

 ――だから、かれらは知り得るかぎりのことを知ることができる。いや、すでにあらゆることを「知っている」。
 ほかのまど作品の例に漏れず、物語の中心には人類を代表するひとりの「天才」が存在する。その天才である道終・常イチが〈情報材〉と〈電子葉〉を開発した結果として、この状況を作りだされている。情報格規定法が定める市民区分〈クラス0~6〉の情報格差や、政府や企業関係者がその情報の偏りを利用して巨額の利益を得る一大疑獄もあるが(あるにはありますが、作者にとってそれは問題提起するような主題であるわけではなく、あくまで“情報蓄積”のための素材に過ぎません)、そんな社会的状況すらも天才による計画が最終的な目的を達成するための一局面に過ぎない。

「人は知るべきだ」(道終・常イチ)

 その「天才」が見つめる次なる到達点とは、どこか。
 情報がこんなにも溢れていて、ひとはこの上なにを知りたいというのか。

 それは誰もが一度は懐いたであろう、ある未来への憂慮。抗いきれないがために一種の諦念とともに考えることをやめてしまったひともいるだろうが、人間という生き物が意識/無意識を問わず、執着せずにはいられないもの。それは――“死”だ。
「『わたし』という存在は、死ぬとどうなってしまうの?」
 この問いかけに、あるひとは科学的な態度で“無”だと答えるだろう。「わたし」という意識の消滅。肉体と不可分である精神は、躰の活動停止と同時に霧散する。でも、それではあまりにも呆気なさ過ぎるので、あるひとは多くの宗教が約束した楽園や、天国と地獄を信じているかもしれない。『know』は、そのかつては聖典の権威によって保証された死後の世界について、現代においてもっともらしく、科学的なレトリックでこう嘯く(これって、かなりSFの本質です)

《死とは、情報のブラックホール化なのだ》。

 物質が大質量・高密度に収斂すると、重力崩壊を起こしてあらゆる物質にとって脱出不可能な領域を生みだすように、“知る”という機能の――情報を取り込んで自己組織化する――器官をもつ人間は、情報を崩壊させるほど大容量・高密度に圧縮させて、二度と戻ってこられない「あちら側」へのワームホールを開く。それが究極に脳が活性化する状態(走馬灯が代表的)である、死の瞬間なのだ、と。
 そして、この世のことを知る段階を終えた人類は〈事象の地平線を超えて戻って来られる宇宙船〉を創りだし、新たな情報を求めて彼岸と此岸を行き来する。

 やはりこの作品で語られているのも、“知る”という機能によって決定的に他と区別され、宇宙の情報量を増やすべく存在している、ヒトという特異点の話なのだ。