ヒトは宇宙の特異点?

『2』野﨑まど=著メディアワークス文庫

2 (メディアワークス文庫)

2 (メディアワークス文庫)

 


 キリンの首は、高所の葉を食べるために進化した。

 もちろん、キリン自身がずいぶんと高い樹に茂った葉をうらめしそうに眺めて、「あの葉っぱが食べたいなあ」なんて思ったから首がぐいぐいと伸びたわけではないし、ましてやかれらは自分の首が長いことによる生存の優位性などわからないのであり、首の長さが木の葉に届くくらいがちょうどよいことも、首が短いと葉に届かず食べられないことも、また逆に首の長さが樹の高さを越えてしまうと葉を食べづらくなることも知らない。
 ダーウィンの進化論とリチャード・ドーキンスの利己的遺伝子論が説明するところによれば、〈突然変異〉によって遺伝子はランダムに変化し、個体間にわずかな形質の差が生まれる。この変異そのものに目的は存在せず、〈適者生存〉の篩――環境に適した個体/遺伝子が生き残り、反対に適さなかった個体/遺伝子が排除される――である〈自然選択〉の仕組みが進化を方向づけていく。
 キリンの首は、高所の葉を食べるために進化した――その表現は、進化になんらかの意志が介在しているかのように思わせる。しかし実際のところ、首の長いキリンと短いキリンが生まれ、長いほうが生き残り、短いほうが死に絶えたのだ。
 本質的に、進化とはただそれだけの結果の集積でしかなく、それ自体に意志や目的があるわけではない。

 キリンは、ちょうど首の高さにある木の葉を食べているに過ぎない。
 キリンは、高所の葉を食べるという目的意識をもたない。
 キリンは、自分の首がなぜ長いのかを知らない。

 そう。かれらは知らなくてもいいのだ。知る必然性をもたないのだ。
 試しに、宇宙が巨大な計算機であると考えてみたい(ただし、あくまでも計算機であり、やはり宇宙に意志があるわけではありません)。宇宙は138億年前に誕生して以来、あらゆる自然法則を用いた演算を行なって、情報を蓄積しつづけている。生物の進化もその演算の一部であるとするならば、どうしてその生物自体が宇宙の計算法則を知る必要があろうか? たとえ理解などしていなくても、遺伝子は変異しながら引き継がれ、宇宙の演算は滞りなく続いていくというのに。

 ここでひとつの疑問が生じる。
 ならば、なぜ人間という生物はこう考えるのか――

「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」

(ポール・ゴーギャン=作)

 138億年前に物質が誕生し、40億年前に地球に生命が発生し、その生命が遅々とした進化の果てに人間となる。これを一本の長い軸と見れば、宇宙はそのはじまりから物理法則によって情報を算出しつづけており、生物の進化論が情報を複雑で膨大なものにしている。その軸の現在の座標上では、人間が自己言及的な疑問に端を発して宗教/科学/芸術/娯楽などのあらゆる文化を生みだしている。
 この「文化」という情報によって、宇宙は人間以前と人間以後に分けられはしないか。そして、この問いかけに答えることで、さきほどの疑問にたいするひとつの回答を提示する小説――それが『2』ではないだろうか。

 ――最原最早という天才の映画監督は、「この世で一番面白い作品」を創ろうと試みる。

 作中で言及される〈ミーム〉の概念が示すように、文化は進化論をなぞって〈突然変異〉と〈自然選択〉によって進化する。文化を形作る情報は人から人へと複製されながら、個人の価値体系やプライオリティのなかで自然選択を受け、洗練されていく。
 創作においても、「作品」は「鑑賞者」によって面白いか/面白くないか評価され、また一方で鑑賞者が“面白い”という概念を更新することで、創作は進化する。

「進化は生物的なものだけじゃない。人の心も、人の文化も、全てが進化の結果なんだ。感情も、生き方も、あらゆるものが長い年月の中で変異して自然選択されて残ってきた表現型なのさ。芸術を楽しむ心、娯楽を喜ぶ感情、友達を大切に思う文化、人を愛する気持ち、そんな人間として普遍的な部分は昔は存在しなかった。それはつまり進化の過程で生まれた、情報の“新種”なんだよ」(伊藤)

 ――最原最早は、「2」という映画を観るためだけに育てられた鑑賞者「1」に、「1」という鑑賞者だけを対象としてあらゆる内容/センスが調整された映画「2」を見せる。

 ドーキンスの「イタチ・プログラム」はダーウィン進化論のシミュレーションであるが、生物進化の傍証というよりは、人間の意志であらかじめ〈自然選択〉に合致するよう〈突然変異〉を調整可能である文化進化を説明するものではないか。
 “Methinks it is like a weasel(おれにはイタチのようにも見えるがな)
 英文で28字の文字列をランダム生成するプログラムをそのまま走らせたところで、この『ハムレット』の科白とぴったり重なるためには、これまで世界が存続した時間の10億倍の10億倍の10億倍の計算が必要になる。しかし「目標の成句と一致した部分は固定する」という条件を加えれば、一瞬のうちに答えへとたどり着く。

「しかもこの文化進化というのは、生物進化に比べて格段にスピードが速い。理由は二つ。一つは物理的媒体と乖離した情報体なので最高速度ならば光の速さで伝達と変化が可能であること。第二にランダム突然変異と自然選択の生物進化と違って、文化進化は人間の意志で方向を決められること。イタチプログラムの例の通り、正しい条件が設定できるなら何京年を一秒に短縮することだってできる。こうしている今だって、俺達人間の文化は物凄い速さで進化を続けているんだ」(伊藤)

  ――最原最早の目的は、鑑賞者「1」と映画「2」によって“感動”を人工進化させることである。

 人間というのは最原最早には及ばないが、「天才のキリン」には違いない。自分の首の長さと木の葉の因果関係を理解して、踏み台を作ることができる天才のキリン。人間は人為的に進化のプロセスを短縮することができる。
 そうか――

 人間以後の宇宙は、人間の「自己言及」能力によって計算効率を向上させて、「文化」という情報の新種を大量に蓄えつづけている。

 ――というのが『2』の回答であり、『2』に至るまでの野﨑まど作品を貫いている世界観なのだ。

 この世界に飽きてしまって面白いものを探していた、舞面みさき(『舞面真面とお面の女』)
 永遠の命をもって知識を収集しつづけた、識別組子(『死なない生徒殺人事件~識別組子とさまよえる不死~』)
 この世で一番面白い小説を執筆しようとした、紫依代(『小説家の作り方』)
 そして、かれらを利用して最高の映画と最高の鑑賞者を創りあげた、最原最早(『[映]アムリタ』『パーフェクトフレンド』『2』)

 野﨑まど作品に登場する「天才」たちは、情報を集積する。その集積した情報を基にさらに巨大な情報が生みだされ、宇宙の情報量は爆発的に増加していく。

「ああ……凄いですね……ある程度の情報量を集積すれば未知のオーダーの表現が成されるとは思っていたんですが……とても素敵です……この立体感……人間の限界を超えた情報が編み込まれている……」
(中略)
「美しい糸を幾重にも重ねて織ったとしたら、それは美しい織物になるでしょう。なら、美しい織物を、その全てを保ったまま糸にして、それを幾重にも重ねて織ったとしたら、どんなに美しい織物になるでしょうね……」(最原最早)

(『[映]アムリタ』)

 なぜ人間という自己言及的な生物が誕生したのか――その答えは「宇宙の情報量を増やすため」。
 なんだか煙に巻かれたような気がするかもしれない。それもそうだろう。そもそもぼくが宇宙を計算機に見立てた時点でいろいろとおかしいし、人間が存在する意味なんて本当にあるわけがなく、この推測自体が人間になんらかの意味をもたせようとするSF的なアイデアなのだろうから。
 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか。
 いまのぼくたちにはまだわからない。これからさきもわからないのかもしれない。
 でも、『2』を読めば、ひとつだけわかる。

 人は創作に感動するために進化したのだ。

THE END