数百万マイルの宇宙のかなたから観察した「地球滅亡の危機」

「ザ・スター」“The Star” H・G・ウェルズ=著、橋本槇矩=訳

『タイム・マシン』(岩波文庫)所収

タイム・マシン 他九篇 (岩波文庫)

タイム・マシン 他九篇 (岩波文庫)

 


 二十世紀初頭、巨星が地球に接近しつつあった。
 音も光もなく、暗闇が無限に広がっているかに思われる空間――太陽系の外側から、突如出現した遊星は太陽系最外郭の惑星である海王星に衝突。その衝突によって生まれた膨大なエネルギーは、ふたつの星を白熱光を放つひとつの巨星へと変貌させた。
 夜空に点在する星々よりも、太陽の光を反射する青白い月よりも、巨星はその大きさと輝きを増していく。次第に地球の夜は、白く澄んだ光によって照らされはじめる。そして起こる大災害――気温の上昇、異常気象、地震津波、洪水、火山活動の活性化。
 地球の滅亡はまぢかだった――

 ――と、こんなふうにあらすじを書いてはみたが、このテキストから読みとることができる“隕石あるいは彗星の落下による地球滅亡”という状況にたいして、いまではなにひとつ珍しさを感じられないかもしれない。「アルマゲドンマイケル・ベイ=監督)や「ディープ・インパクト(ミミ・レダー=監督)など、この種の状況を映像化した作品は(面白さはまた別の話ですが)数知れず、“隕石落下”という形式のSFを浸透させているからだ、というのが理由としてもっともらしい。
 だが、それは同時に拡散――形骸化されたコンテンツがただ消費されている――ではなかろうか。ハリウッド映画が好む要素を盛りこんだ「地球滅亡の危機」がそのまま、このSFの主題への印象として刻印されてはいないか。
 圧倒的な質量と速度による破壊を湛えた隕石/彗星の映像的強度。
 時々刻々と迫る地球滅亡へのタイムリミットが牽引するサスペンス。
 絶望のなかで摩耗しながらもわずかな希望にすがる人びとのドラマ。
 この三つの連帯が、観る者を映画に没入させる。そして、英雄的な自己犠牲や家族愛というわかりやすいかたちのセンチメンタルが配置されたクライマックスで落涙させる。これが常套的なパターンだ。
 この人間中心的なマンネリズムから脱却すべく、「ザ・スター」を読んでみることは、ウェルズの宇宙的悲観主義(コズミック・ペシミズム)SFの理解へも結びつき、あながち無駄とは言えないだろう。

「ザ・スター」には、感情移入の対象となるような人物は登場しない。ウェルズがペシミスティックに地球の「状況」を描くために、主役に据えたものは――それをあえて言うとすれば――顔のないひとたちの集合としての「人類」だ。

 ロンドンに夜明けが来て、双子座の一等星も沈み、星は輝きを失った。冬の夜明けは、どんよりと滲みこむような明るさからはじまる。起きて一日の仕事にとりかかろうとしている家々の窓にガス灯とロウソクの明りが黄色く映えている。しかし欠伸をした警官は夜明けの空にその新星を見た! 市場で働く人々も茫然として空を見上げている。早めに仕事場にむかう労働者、牛乳屋、新聞を運ぶ荷馬車屋、憔悴し切って朝帰りする顔色の悪い放蕩者、浮浪者、パトロール中の巡査たちも空を見上げている。田舎ではとぼとぼと野良にむかう者たちや、こっそり逃げ帰ろうとしている密猟者たちも見た。海では当直の船乗りたちも見た。忽然と西の空に現れた白い巨星を!

 さまざまな人びとが並置され、巨星に目を奪われたロンドンの群衆の「状況」が立ち現われる。そこに、さらにヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、アジアの世界各地の群衆が三人称の神の視点におさめられていき、「人類」は冷徹に観察される。

 そして、人類は宇宙/自然の猛威に対置され、徹底的に無力な存在だとわかる。
 白熱の空は光と熱風で人びとの身を焼き、雷雲が湧きあがれば雹がその身を叩く。世界中の氷という氷が融解し、水位の上昇した河の濁流や打ち寄せる万丈の波濤にゴミのように屍体が漂う。頻発する地震によって建造物は崩れ、洪水がひとを攫い、そしてあとに空しく残される廃墟。海上では蒸気が渦巻き、地は割れ、赤黒い熔岩をこぼす火山からは灰や煙が立ちのぼっている。

「(前略)諸君! 手短かに言うならば、人類の歴史は空しい歴史であった」(大数学者)

 人類は、世界が滅亡へとひた走るその風景を眺めることしかできない。宇宙的な視点から見た人類は――ましてや個人の意志など――ちっぽけなものでしかない。

広大な宇宙の、より深遠な意図からすれば、火星人の侵入は、地球人にとって、究極的には利益であったといえぬこともない。それはわれわれから、廃頽のもっとも有力な原因である将来への安心感をとりのぞいてくれた。人類の科学にそれがもたらした贈り物は、非常に大きなものがあり、それはまた、我々に人類共通の福祉思想を、いちじるしく増進させてくれた。

(『宇宙戦争』宇野利泰=訳)

 この物語では、巨星は人類の科学技術によって破壊されることもないが、ついには地球に衝突して人類が滅びてしまうこともない。人類は、宇宙の気まぐれのなかでゆらぐ一隻の難破船だ。災禍に遭ったかと思えば、ふと顔をあげると新しい風景――「新たな同胞愛」や「北極と南極の温暖なところ」などの新天地――が広がっていたりする。「ザ・スター」と同じ構造をもつ『宇宙戦争』で言われる「広大な宇宙の、より深遠な意図」を、人類は結果的に知り得るに過ぎない、あるいは知ることすらかなわない、「状況」の住人なのだ。
 結末で明かされる語り手の正体である、火星人の天文学者は総括としてこう述べる――

「われわれの太陽系を横切っていったあの流星の大きさと温度を考えてみると、あれほど接近した地球にほとんど被害がなかったのは驚くべきことだ。五大陸と海の変化は見えないし、唯一の変化といえば両極の氷らしき白いものが小さくなったというくらいだ」(火星人の天文学者

 そこに「人類」という二文字は存在しない。それはやはり「数百万マイルの宇宙のかなたから観察すれば、人類はじまって以来の大災害もいかに微細なものであるか」を物語ると同時に、人類の卑小さを言外に語っている。