『ファイト・クラブ Fight Club』 チャック・パラニューク=著 池田 真紀子=訳

  ぼくらはスウェーデン製の家具ではない。ぼくらは預金通帳の金額ではない。仕事ではない。家族ではない。でも、ぼくらは二つとして同じ形のない美しい雪のひとひらなどでもない。そしてまた、くずでもごみでもない。
 ぼくらはぼくらだ。

ファイト・クラブ〔新版〕 (ハヤカワ文庫NV)

ファイト・クラブ〔新版〕 (ハヤカワ文庫NV)

 
STORY

 パーカー-モリス・ビルの屋上で、タイラーはぼくの口に銃口を突っ込んでいる。タイラーの指は引鉄に掛けられていて、ぼくはこの銃口は清潔なのかな、と考えている。
 こうなったのは、ぼくとタイラー、それにあの女、マーラの奇妙な三角関係のせいだ。ぼくはタイラーを欲しがった、タイラーはマーラ、マーラはぼくを欲しがった。タイラーはもはや邪魔となったぼくを排除したがっている。
 何でこんなことになったのか。何でタイラーはぼくに銃を突きつけているのか。なにもかもをぼくは記憶している。なぜなら、タイラーがそれを知っているからだ……。

 ぼくの人生のすべてはスウェーデン製の家具だった。
 親父はぼくに言った、せめて大学だけは出ておけ、と。だから、ぼくはそうしたし、その後もとりあえず就職した。ここまでの人生でぼくが、ぼく自身が決断をしたことが果たしてあっただろうか。ぼくが何も考えなくても、「とりあえず」で人生はうまくいってしまう。
 職業はリコール・コーディネーターです。
「市場に流通している車輌数」×「推定される欠陥発生率」×「一件当たりの平均示談解決額」=X。この誰でもできる簡単な式を使って計算して、ぼくは金をもらう。
 Xがリコールのコストを上回れば、リコールする。
 Xがリコールのコストを下回れば、リコールは申請されず、不幸な誰かが死ぬことになる。
 そういう会社の裏の顔を知っているから、ぼくの終身雇用は約束されているようなもので、この退屈な仕事は一生続く。そして、稼いだ金はIKEAの家具に費やされ、「本当には欲しくないもの」でがんじ搦めの素敵なこの部屋で、ぼくは幸せを感じる。センスのあるテーブルや椅子、ランプ、ラグ……すべてがぼくだ。食器棚に収納された皿がぼく。観葉植物がぼく。テレビがぼくの人生だった。そんな仕事や家具にぼくはうんざりしていた。
 完璧なぼくの人生。
 完全なぼくの人生。
 いっそのことすべてを終わらせてしまう以外に、この人生からの脱出口をぼくは探していた。そして、ぼくは不眠症になった。

 医者はぼくに本物の苦痛を知りたいなら、死を目の前にして生きている患者たちを見てみるといい、と言った。住血寄生虫感染症患者を、結核患者を、黒色腫患者を、白血病患者を、精巣ガン患者を。その互助グループに顔を出してみるといい。ぼくは集会に出てみることにした。
 精巣ガンの集会“ともに男であり続けようの会”のビッグ・ボブにはみごとなおっぱいがある。精巣ガンに罹った玉を摘出したからだ。希望を失った患者たちが互いの痛みを分かち合う抱擁タイム。相手が目前にしている「死」を意識すると、金や仕事や社会が絡んだ心配事は頭から吹き飛んで、もしかしたら会うのはもうこれっきりかもしれない相手を本気で思いやることができる。ビッグ・ボブのでかパイに顔をうずめながら、ぼくは泣いた。泣けた。頭を上げると、ボブのシャツはぼくの顔型の涙で濡れていた。そして、グループに忍び込んだ偽物のぼくは絶望し、かつてないほどに生を実感する。その夜、ぼくはぐっすりと眠ることができた。それから、ぼくは毎日のようにいろんな集会に通うようになっていた。
 でもマーラが現れてから、そうはいかなくなった。あの女は詐病だ。そのくせ、ぼくが顔を出している集会のことごとくに出席し、あげくの果てには“ともに男であり続けようの会”にも図々しく現れた。マーラの嘘はぼくの嘘を反射して、マーラに見られながらではぼくは泣けないし、また眠れなくなった。
 でもその代わりにファイト・クラブで、ぼくは生の実感を得ることになる。

 ぼくがタイラー・ダーデンと出会ったのは、出張で利用した飛行機のなかだった。ぼくの隣の席に座るタイラーは、夜勤でパートタイムの映写技師をしている、と言った。彼は映画のフィルムから一コマだけ切り取ってくすねたり、ファミリー向けの映画のなかにポルノ映画の一コマを紛れ込ませる。一コマが画面に映し出されるのは60分の1秒間。何が映ったのかわからない程度のその一瞬に、4階建てのビルに相当する男のいきり立ったペニスやグランドキャニオン級の女性器が露わになっても、観客は気づきやしない、とタイラーは語る。ぼくはタイラーから電話番号をもらった。
 アパートに帰ってみると、ぼくの部屋はガス爆発だか爆弾だかで吹き飛んでしまっていた。人生をかけてそろえてきたスウェーデン製の数々のぼくが、焼け焦げた姿でアパート外の地面に落下している。ぼくはタイラーに電話して、助けを求めた。ぼくらはバーで落ち合うとしこたまビールを飲んだ後、タイラーは、おれの家に越してくるといい、と言ってくれた。ただし、一つ頼みがあるという。

「おれを力いっぱい殴ってくれ」

 ぼくらはバーの駐車場で殴り合った。ぼくにとってこの世は腹立たしいことで満ちていたはずだったのに、ファイトが終わるとそれらの問題はなにひとつ解決してはいなかったが、これっぽっちも気にならなくなっていた。そして、肉体的な痛みはこの世界で「ぼく」という存在を主張する。生きているということをぼくに感じさせる。ぼくは再び眠ることができるようになった。そして、参加者が増えてきたところでタイラーはファイト・クラブを創設した。
ファイト・クラブ規則第一条、ファイト・クラブについて口にしてはならない」
ファイト・クラブ規則第二条、ファイト・クラブについて口にしてはならない」
 昼間に先週のファイトの対戦相手と出会ったとしても、他人のふりをする。だが、土曜の夜だけは、バーの地下室で開催されるファイトクラブでファイトするときだけは、語り合った。そこに言葉はいらない。お互いの拳と、肉体の衝突がすべてだった。ぼくはファイトクラブにのめり込んでいった。

 しかし、互助グループのときと同じようにマーラがまたぼくの邪魔をする。タイラーはマーラと出会い、ぼくも同じ屋根の下にいるというのに、ふたりは毎晩のようにやりまくった。穏やかであろうとしたが、ぼくはぼくを救ってくれた大切な友人をマーラに盗られたような気がするし、朝起きてもまるで寝た気がしない。
 タイラーは自己破壊についてぼくに説いた。自己破壊を通してのみ、ぼくらの魂は救済される、と。愚かなぼくたちはただ企業広告に踊らされて必要もないものを欲しがり、消費する。ちっぽけな人生。ちっぽけな仕事。大量消費社会はぼくらの精神を閉じ込める牢獄だ。タイラーはこの資本主義社会を解体しようとするアナーキストだった。ぼくとタイラーはホテルのウェイターとして働きながら、客に出される料理に小便を垂れたりもしたし、タイラーは裕福な人間から吸引された「世界一裕福な脂肪」を原料にして石鹸を作り、もとの脂肪所有者へと売りつけた。
 タイラーが騒乱プロジェクトを創設したのは、ある日のファイト・クラブでのことだった。プロジェクトの最終目標は、美しいものを破壊すること。全世界をどん底に突き落とすこと。環境破壊や放射性廃棄物、有毒汚泥……なぜかぼくらはぼくらが生まれる前の時代のつけを払わなくてはならない。そんなことはどうでもよくなるくらいに世界を吹き飛ばして、歴史から解放すること。ファイト・クラブ会員はプロジェクトのメンバーとなり、タイラーの言葉のままに社会への攻撃を開始した。
 そして、ぼくがタイラー・ダーデンの正体に気づいたとき、大切な人の存在を知ったとき、すでにもう手遅れだった。タイラーと彼の計画のメンバーは暴走し、ぼくが望んでいたはずの自由はそこには存在していなかった……。

COMMENT

 果たしてぼくらに自由意志というものは存在するのだろうか。ここではベンジャミン・リベットがおこなった実験のように、脳科学的に人間にはそもそも自由意志がない、というようなことは言わない。外部からある情報がもたらされたとき、ぼくらは無意識的に誰かが想定した通りの行動をとってしまうことはないだろうか、ということだ。インプットされれば「予想」通りのアウトプットをする、誰かによって「制御」された装置になってしまっていることはないだろうか。この『ファイト・クラブ』において、「誰か」とはカネが中心の世界で利益を追求する企業であり、勝ち誇ったように存在している金持ち連中であり、そもそもこの資本主義の大量消費社会だ。でもほとんどの人がそんなことを考えもしない。まぁ少しだけ考えていたとしても「なんだか企業の思い通りになっている気がしないでもないけれど、こうして経済をまわしているんだな」くらいかもしれない。

 都市は右を向いても左を向いても企業広告だ。家の中にいてもテレビでは番組の合間に一本15秒のCMが流れ、パソコンやスマホでネットにアクセスしてもそこには広告が配置されている。そこら中が企業戦略だ。
 バレンタインデーにチョコを買うやつは誰だ。
 ハロウィンでバカ騒ぎしているやつは誰だ。
 クリスマスにチキンを食っているやつは誰だ。
 いま、あなたの部屋を見渡してみて、使ってもいないのに購入した物がいくつあるだろう? 流行りだから、という理由で買った物がどれだけあるだろう? そんなものひとつもないと言う人がいるなら、素晴らしい。どうぞこのページから退出していい。だが、大多数の人が「本当には欲しくない物」に包囲されて生きている。これはまぎれもなく、ぼくらがぼくらのものだと信じている意志が、大量消費社会に操られている証拠だ。

 それでも誰かが言うかもしれない、でもこの社会は平和じゃないか、と。

 たしかにこの社会は平和だ。国外で戦争をしていたとしても、低強度紛争(LIC)が生活の中に溶け込んで来ようとしているとしても、ぼくらの安全はある程度保障されている。だが、それは肉体的な意味にとどまったものだ。個性、個性、と最近うるさいが、個人の存在は消費社会の仕組みの中で均されて、この社会のどこにも個性を擁護する部分はない。精神の救済は存在しない。どこまでも「カネ」、どこまでも「物」だ。
 物があふれている都市に生きるぼくは、どこからどこまでが「ぼく」であるだろう。
「ぼく」という存在をカネで計らず、なにが保証してくれるだろう。
「管理社会」という言葉があるが、この社会は緩やかに管理されていると言っても過言ではないかもしれない。それは上から押さえつけられるようなイメージのものではなく、人々のなかに染み込んだ資本主義の精神によるもので、お互いがお互いを無意識に管理しあっているようなかたちだ。ぼくらのぼくらによるぼくらのための「監獄」。それがこの社会であり、否応なくぼくらは世界の一部なのだ。

 そして『ファイト・クラブ』は問う。きみは誰の人生を生きているんだい?

 この物語で名前すらない主人公がラストに教えてくれるものは、「自分自身による決断」の大切さだ。社会に流されてきた主人公は、タイラー・ダーデンアナーキズムに出会い、そしてタイラーは自分から解離した人格だと知る。社会を攻撃し、自分の意志だと思っていたものもまたタイラーに操作されたものだったのだ。でもラストには自分の選択としてタイラーの計画を阻止しようとし、自分がマーラのことが好きだという気持ちにも気づくことになる。
 そのとき主人公が向き合ったのは、今までの社会と個人との間で輪郭がぼやけてしまっていた「ぼく」でもなく、タイラーと重ね合わさっていた「ぼく」でもなく、本物の「ぼく」だった。
 タイラー・ダーデンはビーチで主人公に言っていた。

「そのために努力を強いられたとしても、完璧な一分間にはそれだけの価値がある

 爆発まで残り一分のカウントで、マーラは主人公に「好きだ」と告白し、主人公はタイラーを殺すために自分の口に突っ込んだ銃の引鉄を引き絞る。その後主人公は生きていて、タイラーの騒乱プロジェクトも継続されることになったとしても、その一分が、数行がこの物語の一瞬の輝きなのである。